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日々ぼんやり

仕事、家、対人関係、時々作ったもの

理想像。尊敬する人。の話

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(素材元:GATAG

 

私は、『八方美人ではない』という自負がある。

仕事中や初対面の人に対して、それなりに人当たり良く接してはいるが、

プライベートにおいては、無理して付き合う、ということはない。

私をこう育てたのは母親だ。

そして、母親にそれを許したのは、小学生の頃の担任だ。

今日はそんなお話。

 

 

ピカピカの小学1年生だった頃から、私は人を選んで付き合っていた。

幼心にも『この子は好きだからたくさん遊ぶ』『この子は嫌いだからあまり近付かない』という感情があり、外で遊ぶのはいつも幼稚園時代からの決まったメンバーだったし、家に連れてくる子は、その中のさらに数名だけだった。

母親は、幼稚園から小学校へと環境が変わった時、親心に「このままではいけない」と思ったのだろう。

よく、「お友達は他にいないの?」「学校の子たちと仲良くできてるの?」と心配していた。

しかし私の答えは、「お話する子はいるけど遊ばない」という感じだった。

 

小学校へ入って初めての、1対1の保護者面談。

母は担任に、「うちの子は他の子たちと仲良くできていますか」と聞いたそうだ。

元々癖のある性格な上、親の目線では、交友関係が幼稚園から変わっていない。担任にそれを話し、相談したのだと言う。

すると、その担任はこう答えた。

 

『お母さんは、お子さんに八方美人になってほしいですか?』

 

相談した真っ先の返答が、これだったらしい。

 

「みんなと仲良くしろ、とよく言われますが、僕はそうは思いません。」

「好き嫌いをはっきりさせて、その中から自分なりの正しい道を探すことも大切です。」

「どんなに頑張っても、人は、好きな人嫌いな人が出てきます。」

「好きになれない人へ労力を使うのではなく、娘さんの今輝いている個性を伸ばしていきたいと思っています。」

「娘さんが誰(何)を選ぶかは、娘さん自身です。これは、娘さんの人生です。」

 

母は、この担任の言葉にはっとし、それ以降、私に「みんなと仲良くしろ」とは言わなくなった。

担任はこの時母に、「かと言ってワガママが許されるわけではない。我慢も時には必要であること、周りを見ることは大切だということも、しっかり教えていきたい」と付け加え、それに母も納得した。

 

これが正しいことなのかどうかは、正直未だにわからない。

けれどそのおかげで、自分にとって『害』であるものを見極める力はそこそこ付いたし、少なくとも、自分自身の心はそれで安定している。

母の当初の心配をよそに、年を重ねるごとに私の友人は増えていったし、彼らはみんな、私にとってどこかしら尊敬する部分があり、私はそれを誇らしいとも思っている。

もし私が、八方美人で無理して周りに気を遣う人間になっていたら、こうはなっていないだろう。

無理をして疲れ、思い通りにいかない友人(?)への文句も増え、愚痴悪口を言う人間になっていた可能性だってある。

結果的には、私の人生としてはこれで良いと思えているし、それは母の、そして担任のおかげだと思う。

 

けれど、私がこの一連の出来事に関して感じるのは、親や担任への感謝の気持ちではない。

小学校1年生の担任が、ここまで『子供の未来』を考え、明確なビジョンを持ち、それを真正面から『親』に伝える。

そんな教師としての心意気を、尊敬した。

あの時担任は、確か30半ばくらいだった。

 

今のご時世、親が強くなり、教師の立場はどんどん弱くなっている。

しかし、私の頃も時代はまだ教師の方が力が強かったとは言え、地域柄、やはり教師はうかつな事を言える立場ではなかった。

そんな中、あの担任は「八方美人になる必要はない」と、小学1年生の母親に伝えた。

そして、自由奔放が許されるわけではない、やるべきことはやれるようにとも付け加えた。

これがどれだけ凄いことなのだろう、仮に私がその立場なら、できただろうかと、考えられずにはいられない。

 

 

教師に限らず、『人を教える立場』になった時、私もこんな風になりたいと思う。

いつか子供が生まれた時、『親』として、こんな風になりたいと思う。